わたしはポッタリアン

2001年。
ママやパパを含めて幼なじみたちと大所帯で映画を観に行った。

そこで、わたしは、


ハリーと出会った。



ハリー・ポッターと賢者の石
イギリスの児童文学作家、J・K・ローリングが1997年に発表した、子供向けファンタジー小説ハリー・ポッター』シリーズの第1巻。
それが映画化されたものだ。

叔母家族の元、不遇な少年時代を過ごしていたハリーは、ある日「ホグワーツ魔法魔術学校」からの入学許可証が送られてくる…
と話が始まり、なんともスペクタクルな展開になっていくのだが、

なんといっても「魔法」だ!

魔法使いは存在していた!

幼いわたしは大興奮だ。
幼なじみたちも興奮していた。
わたしもわたしも魔法を使いたい。
みんなで呪文を唱えた。
目には見えないけど、きっと発動したんじゃないかな。
いやーハリー凄い!!
わたしも冒険したい!
ほうきのりたい!
アロホモラ!

親に頼んで本を買ってもらった。
素晴らしかった!
映画も素晴らしかったが、
本の世界も素晴らしかった!!!

ハリー・ポッターシリーズはどれも分厚い。
でも苦じゃなかった。
ほんとにすらすら読めるのだ。

お家で勉強していこうね、
と学校の宿題が出たら、
わたしはハリー・ポッターの一部を抜粋して書き写して提出した。
先生には、算数とかもしようね、って言われたけど、
ハリー・ポッターの挿し絵を真似して書くほうが楽しかったわ。

新作が出たら必ずその日に読みきった。
中学の部活動を休んでまで読んだ。
いまだにそのころの友人にはハリー・ポッターで休んだやつって言われてる。

高校生になっても大好きで、寧ろ愛は深くなっていた。
わたしはハリーと一緒に成長していた。

ファンブックも買った。
映画ももちろん観た。
パンフレットも欠かさず購入。
バタービールを夢想した。
大きいチョコレートが食べたい。
ハグリッドのヌガーを齧りたい。

そして物語が佳境に入った。
J・K・ローリングは最終章を金庫に入れて大事にとっていた。
わたしはそれが楽しみで楽しみで仕方なかった。
わくわくが止まらない。
その最終章を書き換えたって聞いたときは狂喜乱舞だ!
どうあったのがどうなったんだ!!
なにもわからないけど、楽しみだあああ!!!

最終巻、予約し、無事入手。
わたしのそれまでの人生総てをもってして読む。
それは、それは、
言葉に尽くせない物語。
そして、最終章。
次にページをめくると、
最終章がはじまる。
まず、深呼吸だ。
そして振り返る。
今まで出逢った物語のどれよりも素晴らしい、
間違いなく最高傑作であった。
わたしは染々と確信していた。

そしてーーー



わたしは憤慨した。

なんだこれは。
なんだこの最終章は。

これが金庫に大事にしまっておいた最終章なのか。

わたしはきっと寂しかったのだ。
一緒に成長して一緒に冒険していたハリーたちが、
遠くにいってしまったように感じた。
さっきまですぐそばにいたのに、
突然大人になってしまったからだ。

今だったらわかる。あんなにも苦しい思いをして紡いだ未来、みんなで勝ちとった未来だ。
それがいかに素晴らしいことなのかは、
今にならないとわからないことで。

あのときのわたしは、
置いていかれたことに、やり場のない怒り、そして悲しみに苛まれた。


わたしは、ハリー・ポッターに触れることは無くなった。
最後の映画も観に行かなかった。

あんなに好きだった。
でも、頑張って揃えた本たちを段ボールの中に仕舞った。



そして時は経ち、
USJにはハリー・ポッターのエリアが出来た。

ファンタスティックビーストが上映された。

少しずつ、傷が癒えてきた。
J・K・ローリングが伝えたかったことも段々わかってきた。


2018年。
ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」上映。
友人に誘われて観に行った。

気付けば、
わたしのほうがのめり込んでいた。

相変わらず素敵だった。
焦がれた魔法の世界がそこにあった。


いつか世間が落ち着いたら、USJに行こう。
ホグワーツ城を見ながらバタービールを飲もう。

お金を貯めれたら、ハリーポッターツアーに行こう。
本物のイギリス食を食べるんだ。

いつか、ふくろう便で来るかもしれない。
いつでも入学する準備は出来ている。
9月1日が楽しみだ。