30才の成人式

大人になるってどういうことなんだろう?

20になったとき、実感もなにもなかった。
ただなんとなく流されてそのまま。

20代終わりになるにつれて、
30才を1つの区切りにしてみようと思った。
ちょうどいいんじゃないか。

いまならほんとの成人式をやれる。

だから30才の誕生日を特別なものにしよう!
そして20代最後を全力で楽しもう!

そう思い始めたブログ。

初手で転けました笑

びっくりするぐらいの体調不良になりました…笑
体力がきれてしまってスパンと途切れてしまったね。

ありがたいことに少しずつ演劇活動も精力的にできて…
ほんと充実した忙しい毎日でした…
言い訳はここで終わりにして笑

30才の誕生日は「大人=成人」がテーマ。
大人っていったらなんだろうと色々あげてみた。

かっこ良く決めた格好でドクターマーチン履いて煙草吸ってる、というイメージで固まった。

なんだけど
煙草はまだ吸ってないし、
格好いい服買ってないし、
ドクターマーチンは重さがあってわたしには早かった…(格好いいのでいつかは履きたいです)
誕生日は日々の疲れをとるためにお家で寝転んでたよ…

なんともグダグダな30才を迎えたよ。
まあ、わたしらしいのかもと楽しく受け止めてしまってるよ。

やっとお正月に念願の革靴をゲットしたからそれを履いてお出掛けするのが楽しみだなあ。

30才になってなにか劇的な変化があるわけではなかったね。

ただ20才のときより、大人を楽しむことができてるなあ。
そしてこどもの部分も素直に楽しめてる。

変なプライドとかあったけど
緩くなったな。やりたいことをやりやすくなったね。

30代楽しいよ、とおすすめされたことがあってずっとわくわくしてた。
うん、間違いない!まったくその通りだね!

また楽しいことをしたらブログに書きたい…
今年中には煙草デビューしたいです…笑

それでは!

わたしはポッタリアン

2001年。
ママやパパを含めて幼なじみたちと大所帯で映画を観に行った。

そこで、わたしは、


ハリーと出会った。



ハリー・ポッターと賢者の石
イギリスの児童文学作家、J・K・ローリングが1997年に発表した、子供向けファンタジー小説ハリー・ポッター』シリーズの第1巻。
それが映画化されたものだ。

叔母家族の元、不遇な少年時代を過ごしていたハリーは、ある日「ホグワーツ魔法魔術学校」からの入学許可証が送られてくる…
と話が始まり、なんともスペクタクルな展開になっていくのだが、

なんといっても「魔法」だ!

魔法使いは存在していた!

幼いわたしは大興奮だ。
幼なじみたちも興奮していた。
わたしもわたしも魔法を使いたい。
みんなで呪文を唱えた。
目には見えないけど、きっと発動したんじゃないかな。
いやーハリー凄い!!
わたしも冒険したい!
ほうきのりたい!
アロホモラ!

親に頼んで本を買ってもらった。
素晴らしかった!
映画も素晴らしかったが、
本の世界も素晴らしかった!!!

ハリー・ポッターシリーズはどれも分厚い。
でも苦じゃなかった。
ほんとにすらすら読めるのだ。

お家で勉強していこうね、
と学校の宿題が出たら、
わたしはハリー・ポッターの一部を抜粋して書き写して提出した。
先生には、算数とかもしようね、って言われたけど、
ハリー・ポッターの挿し絵を真似して書くほうが楽しかったわ。

新作が出たら必ずその日に読みきった。
中学の部活動を休んでまで読んだ。
いまだにそのころの友人にはハリー・ポッターで休んだやつって言われてる。

高校生になっても大好きで、寧ろ愛は深くなっていた。
わたしはハリーと一緒に成長していた。

ファンブックも買った。
映画ももちろん観た。
パンフレットも欠かさず購入。
バタービールを夢想した。
大きいチョコレートが食べたい。
ハグリッドのヌガーを齧りたい。

そして物語が佳境に入った。
J・K・ローリングは最終章を金庫に入れて大事にとっていた。
わたしはそれが楽しみで楽しみで仕方なかった。
わくわくが止まらない。
その最終章を書き換えたって聞いたときは狂喜乱舞だ!
どうあったのがどうなったんだ!!
なにもわからないけど、楽しみだあああ!!!

最終巻、予約し、無事入手。
わたしのそれまでの人生総てをもってして読む。
それは、それは、
言葉に尽くせない物語。
そして、最終章。
次にページをめくると、
最終章がはじまる。
まず、深呼吸だ。
そして振り返る。
今まで出逢った物語のどれよりも素晴らしい、
間違いなく最高傑作であった。
わたしは染々と確信していた。

そしてーーー



わたしは憤慨した。

なんだこれは。
なんだこの最終章は。

これが金庫に大事にしまっておいた最終章なのか。

わたしはきっと寂しかったのだ。
一緒に成長して一緒に冒険していたハリーたちが、
遠くにいってしまったように感じた。
さっきまですぐそばにいたのに、
突然大人になってしまったからだ。

今だったらわかる。あんなにも苦しい思いをして紡いだ未来、みんなで勝ちとった未来だ。
それがいかに素晴らしいことなのかは、
今にならないとわからないことで。

あのときのわたしは、
置いていかれたことに、やり場のない怒り、そして悲しみに苛まれた。


わたしは、ハリー・ポッターに触れることは無くなった。
最後の映画も観に行かなかった。

あんなに好きだった。
でも、頑張って揃えた本たちを段ボールの中に仕舞った。



そして時は経ち、
USJにはハリー・ポッターのエリアが出来た。

ファンタスティックビーストが上映された。

少しずつ、傷が癒えてきた。
J・K・ローリングが伝えたかったことも段々わかってきた。


2018年。
ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」上映。
友人に誘われて観に行った。

気付けば、
わたしのほうがのめり込んでいた。

相変わらず素敵だった。
焦がれた魔法の世界がそこにあった。


いつか世間が落ち着いたら、USJに行こう。
ホグワーツ城を見ながらバタービールを飲もう。

お金を貯めれたら、ハリーポッターツアーに行こう。
本物のイギリス食を食べるんだ。

いつか、ふくろう便で来るかもしれない。
いつでも入学する準備は出来ている。
9月1日が楽しみだ。

コンプレックス

コンプレックスって聞いたら何を思い浮かべるだろう。

よく聞くのは身体的な特徴が多いよね。

太ってるとか一重とか…色々とあげるとキリがない。

でもわたしにとって身体的特徴はコンプレックスではなくて、
というよりコンプレックスではなくなった。

昔はそれなりに悩んでいたが、今は時代が進んで解決できることが多くなった。

矯正だったり、整形だったり…

変えたいな、と思ったら、変えれる時代になった!


それではコンプレックスってなんだろうと考えた。

まず色々と調べてみた。
一番しっくり来たのが、

コンプレックス=衝動・欲求・観念・記憶等の様々な心理的構成要素が無意識に複雑に絡み合って形成された観念の複合体をいう。ふだんは意識下に抑圧されているものの、現実の行動に影響力をもつ。

という説明文。
となると、思い当たるものがある。


ごくたまに鏡を見たら違和感を覚えるときがある。

自分ってこうだっけとわからなくなるのだ。

別人ように思えて、あれれ?あんた誰?プチパニック!だ。

まあそれは一瞬で終わるのだが、奇妙に思っていた。
ちょっぴり怖かった。
よくよく思い出すと共通点があった。

自分が自分に女性的に魅力を感じたときだ。
要は、自分かわいいって思ったときだった。

可愛い格好をしてるときや
可愛い髪型をしていて、
女性として輝いてるな~
と思うときになっていた。

まあでも、納得した。
それは先日話したセクシュアリティのことに繋がっている。


わたしはフリフリのスカートが好きなこだった。ピンク色も好きだった。
かなりお転婆でというよりクソガキ(言葉は汚いがこの表現がピッタリ)だったが、お姫様に憧れたもんだ。

忘れもしない、小1。
お水を飲みに手洗い場?に向かう廊下で、女の子に
「おまえにスカート、似合わねえよ」
と言われた。

すっごく腹立った。けど杭のように刺さって、その日からスカートは履かなくなった。
もし今その場にいたら、抱き締めてあげたいな。

それからズボン生活になった。
ズボンだけではなく、
女の子でいられないなら
男の子になろうとした。

少しずつ男の子に憧れをもって、
男の子も良いじゃないと思った。

当時腰パンとか流行った時代で、ぶかぶかパーカーにぶかぶかズボン。ちょい不良が格好良かった。
わたしも素敵な茶色のパーカーを手にいれて、格好つけてたな。

小学校の卒業式はスカート履きたくなかった。
親に懇願して父ちゃんの服を借りた。

中学の制服が絶望だった。


でもわたしの身体は女性的だった。

男性服が入りづらくなってしまった。

そこでまた忘れもしない、
姉からの一言。

「女なんだから、男の服が似合うわけないでしょ。」

いったいどうしたらいいんだ。
女で生きていくのは苦しいし、男にもなりきれない。

そう曖昧だったが、
時が経つうちにだんだんと自分の女性性を受け入れるようになった。

やっと20代半ばから積極的に摂取しようとしていて、
一昨年は20年ぶりに念願のピンクのフリフリを着た。


わかりやすく、ファッションの話をしたが、
もっと複雑なのだ。
全部は言わない。長くなるよ。割愛する。

わたしは、人格を形成する大事な時期に、女性性が曖昧になってしまった。

だから今でも、女性性を強く感じるときに
影響が出るんだろうなあ。

果たしてこれがコンプレックスなのかどうかはわからんちんだが、
今のところコンプレックスということにしている。


中性的なものに何故だか惹かれてしまったり、
男装に憧れを持ってるのもそこからだなあ。

もしあの頃に、
セクシュアリティの多様化という考え方を知ったら、
どうなっていたんだろう。

わたしのコンプレックスも変化したんだろうか。

どんなふうになっていたんだろうね。

それでは。

セクシュアリティ

セクシュアリティという言葉を知っているだろうか。

色んな解釈はあるけれど
セクシュアリティとは、広い意味で人間の性にかかわる全てのあり方、ということである。

最近、LBGTQについての講話を聞きに行った。
色々と勉強になった。

でも、好意的には受けとめてるものの、まだわたしには関係のない世界となっている人もいた。

知らない世界とも表現していた。同じ世界に存在しあっているのにね。

確かに当事者でないとピンとこないのかもしれない。

でも、実は自分も当事者であるかもしれないのだ。

セクシュアリティの考え方でとっても素敵だなって思ったのはね、
「十人いれば十人十色のセクシュアリティがある」って考え方。
性別を「女」「男」で分けるんじゃなくて、
わたしという性別、あなたという性別というふうに分けるんだよ。

だから、LBGTQも一つの性のあり方であるだけで、みんなそれぞれなんだよ、
みんなが当事者なんだよ
っていう話。

そして、あらゆるセクシュアリティが存在している、
存在していいんだ!
ってことにもなって、

その考え方に、
わたしは救われたんだ。


きっかけは、まず自分のセクシュアリティを知ることだった。

anone,というサイトがある。
質問に答えていくと、自分のセクシュアリティがわかるというものだ。
自分の性や恋をする対象、どんな風に恋をするのかというものまで分けられている。
是非ともやってみてほしい!

わたしはその結果で、
今までの疑問点がクリアになった。


わたしぐらいの歳だと、
話の種が恋愛のことが多い。

人生の幸せ=結婚になりがちで、
そして結婚するには出会いがないと駄目で、
その出会いを求めるには、婚活とかマッチングアプリとかで…となり、

友人の話だったらとっても楽しいのだが、
いざ自分もってなると、あまりにも心苦しいのである…。

この向き不向きを言語化できずにもやもやしていたが、
今回はっきりとセクシュアリティがわかったので説明出来るようになった。

世間なんてものには気にせず、わたしはわたしと自信を持つことが出来た!


それともうひとつ。

小学生から中学生までの間、
わたしには一番がいた。

一番は女の子だった。

そのこがなにより大事で誰よりも好きだった。
崇拝していた。

あからさまに他の友達とは違う感情だった。
でも好きな男の子に向ける感情とも全く違ったのだ。
深く考えても、
キスしたい、付き合いたいとは思えなかった。

わたしはこの異質さを、
ずっともやもやしたまま心に閉じ込めていた。

そしてね、やっとわかった。

恋は必ずしも、性愛に繋がらなくてもいい。

そして、恋愛というものに当てはめなくても、
特別な愛はあっていいんだ。

わたしはあの愛を
異質なもの、間違ったものではなくて、
肯定的に受け入れることができた。

なにか救われた気がした。


わたしはセクシュアリティにまつわる考え方が広まってくれたおかげで、
気持ちがラクになれるきっかけに出会えた。

自分は当事者じゃない、
自分は関係ないと思っていても、
実はそこに生きやすいヒントがあったりするかもね。


実はまだまだ語り足りないものがある。
自分の性をどうとらえるか、
どう見せていくか、の根本的な部分についてだが…

わたしのコンプレックスについての長い話になるので、また次回お話ししようと思う。

それでは。

将来の夢

あなたの将来の夢はなんですか?
これまで、幾度となく聞かれてきた。

幼稚園のときは、周りに合わせてお花屋さんかケーキ屋さんと答えていた。
母は警察官が良いよと進めてきたので、警察官とも答えていた。

小学生になると、3歳から水泳をやっていたのでオリンピックの選手になって金メダルを獲る!とも言っていた。

でもピンと来てなかった。将来の夢の模範解答はこういうものだろうと言ってただけだ。


突然だが、わたしは怖い話が好きだ。
極度の怖がりで、最近も怖い話聞かされたり、怖い動画見ちゃったりして眠れなくなって寝不足になるぐらいだが、
よく好んで怖いものに触れている。

余談だが小学生の頃、ホラーMという雑誌を好んで読んでいたんだ。知ってる人はいるだろうか…

そんなわたしは、怖いものを求めていた。
そして、戦争は怖いものだとなんとなく知っていたので、
戦争体験談というものを興味津々に手に取った。

衝撃だった。

怖い、怖くないという話ではなかった。
ただただ残酷さに戦慄した。
現実味がなかった。
わたしにとっては昔話だった。
本当にあったなんて信じられなかった。

間もなく、わたしは紛争というものも知った。
あんなに恐ろしいことが、今現在他の国で実際に起きているのだ。
なにも知らずに、ぬくぬくとご飯を食べて暖かい布団で寝ることができている自分を振り返り、愕然とした。

なにか、なにかわたしに出来ることはないだろうか。

ユニセフに入ろうか。
でもわたしは英語がだめだ。ローマ字が何かの記号に見える。

そうだ!世界中のこどもを笑顔にしたい!
こどもの笑顔が一番だと黒柳徹子さんも言ってたから間違いない。(黒柳さんの『トットちゃんとトットちゃんたち』は素晴らしい本なので、全人類に読んでいただきたい)

笑顔にする仕事ってなんだろう…?

そしてわたしは、初めて明確に『将来の夢』を持ったのだ。


わたし、お笑い芸人になる!!!


まあ、今の状態を見てればわかる通り、夢は変化していったのよ。

まずわたしは、最終目標をバングラデシュでお笑いパフォーマンスをする、と決めた。
当時バングラデシュは世界最貧国だったのだ。

でも中学生ぐらいになると、
夜廻り先生の影響で、
世界の前に、日本のこどもになにか出来ないか思った。
わたしは、大きな島を買って、そこに学校に行きにくい子が学んだり、遊べたりする新しい学校?を建てるんだ!
と真剣に考えた。(なぜ大きい島だったんだろう…)

高校生になると、
まず他の人より、なにより自分を救わないと、と思い心理カウンセラーや臨床心理士に興味を持った。

どんどん時が経つうちに、
どんどん変化していって……

さてさて今はどうだろうか。

今は将来の夢というより、
目標になっている。

夢のままではなく、実現しようとしている。

やりたいことが盛り沢山だ。
些細なことから大きいことまでだ。

近い事柄なら、30歳の誕生日にある計画をしている。
実現次第、レポートを書いてみよう。


将来の夢を持つことや、
やりたいことがあるのは、
わたしにとって、とっても良いことだ。
生きていく源になってる。

むしろ、やりたいことがあるかぎり、生きていけるのだ。

今後もなにかやろうとしたときに、手助けしてもらうかもしれない。

そのときには、一緒に叶えてほしいと思う。よろしくね。

それでは。

日記

日記を書き始めて20年程経つ。


初めて書いたのは小学4年生。
わたしより幼い親戚のこが亡くなり、そのお葬式から帰ってきた日に書いた。
なんともいえない不思議な感覚を今でも覚えている。
なにか言葉にして残したかったのだろうか。
あまり覚えてないけど、それが始まりだった。

それからわたしは些細な日常を書いていった。
年齢があがるにつれ、打ち明けられない悩みなども書くようになった。


中学生になって新しいノートを買った。
無印の無地のノートで、好きなペンで好きなように大きく書いたり、形を崩したり、絵を書いたりした。
自分の悩み、考えを明け透けに書いた。
人には見せられない自分だけの秘密になった。


高校生になった。悩みが深くなった。
ルーズリーフを買い、授業中も授業を聞かずに考えを書くようになった。人の悪口やままならない感情などを書いた。
一度友達に気付かれて、
「なに書いてるの?」と聞かれたので、
「小説。」と答えた。

家でもノートに書いていたし、Web上でも鍵を付けて書いていた。(投稿するといのが正しいのだろうけど)
一番書いていた時期なんじゃないのかな。


時が経つうちに紙に書くのは少なくなり、なにか思うとWeb上に書いた。
もはや日記とは呼べないかもしれないが。

その回数もだんだん少なくなっていった。
わたしは悩みを人に打ち明けれるようになっていた。
信頼の出来る、わたしの悩みを聞いてくれる人に出会えていた。


一年くらい前に、今まで支えてくれていたサイトがサービスを終了することになった。
バックアップを出来るように十分な期間を設けてあったが、
わたしはなにもしなかった。
最後にゆっくりと振り返り、そのまま消した。

代わりにアプリを導入した。
けれど、インターネット上のはいつかは消えてしまう、消してしまうと思った。


そして最近、初めて残すために10年日記を買った。
日常の些細なことを書いている。
あと10年は書き続けるのだ。そのときには、日記30年選手だ。


わたしは日記に支えられ続けている。
日記を書くことによって癒された。癒してきた。

たまには自問自答の形式で書いて、自分自身に相談していた。
自分という絶対的な味方を得ることによって、安心した。
悩みを乗り越えれた。

そのおかげで自分を好きになれたし、
自分の弱さにも気付けるようになった。


今回、ブログを始めるにあたって、
記念すべき最初のお題は日記にしようと前々から決めていた。

これを見たらわかるように
自分しか見ない、自分語りを長年やってきたのだ。

だから所々、読みにくかったり、言葉の使い方が違っているかもしれない。

それも愛嬌というか、それこそがわたしの思想だと受け取ってほしい。

それでは。

はじめに

はじめまして、トマトと申します。

前々から、何か別の媒体を使って表現をしたい、と思っていまして、今回ブログを始めることにしました!!

日常の些細なことを書く、というより

わたしの思想をテーマごとに語りたい!

まだまだ未熟なわたし。

今年30歳になるわたし。

この不安定な自分を記念に取って置きたい!

出来れば共有したい!

知ってほしい!!

そんな思いを込めて、はじめようと思います。

よろしくお願いします。